サグラダファミリア受難の門の彫刻家 Josep Maria Subirachs 死去

JUGEMテーマ:アート・デザイン


サグラダファミリアの受難の門の、現代アートな彫刻を担当していたスビラックスが2014年4月7日、87歳で亡くなりました。お葬式は家族でひっそりと行われました。

私はカタルーニャの各地にある彼の暗示的な彫刻がとても好きです。
しかし、サグラダファミリアはひとつひとつのアイデアや作品はいいのだけれど、なんとなく好きとは思えない、、と思っていました。

まったく同じことを感じていたガイドさんがいて、それについての質問を、ガウディ研究家の田中さんにしたところの返事がとても私にとって納得のいくものでした。「バランスが悪いのではないか」と。

そうです。ガウディはご生誕の門で、どこから見ても同じ大きさに見えるように、原始的なやり方で視線の位置と見える大きさを計って?、大きさを決めてらっしゃいます。上の方の彫刻は実は巨大ですが、下の方から見ると、その違いが分からないように出来ています。(まあ、こんなことを考えた建築家の方が珍しいのかもしれませんが)

スビラックスさんの彫刻は下の彫刻が異様にでかい。上の方の彫刻も近くで見れば大きいのですが,下から見ると、昇天していくイエスの像はごく小さくしか見えません。そうか、あのアンバランスが違和感となってくるんですね。1つ1つは悪くないのに。


その話をしていたところ、別のガイドさんが、「いや、昇天していくんだから、あれはあれでいいんだ」と言ってました。遠くに行く感じが分かるから、、と。スビラックスさんもあのガウディの意図を知らなかったはずはないので(外尾さんも大きさを決めるのに手ほどきを職人さん側から受けてらっしゃるぐらいなので)、もしかすると敢えて、あんな風に作ったのでしょうかね?それとも有名彫刻家だから誰も言えなかった?? 真偽のほどは分かりませんが、ある意味バランスの悪さが、受難の門というテーマを出すのにはぴったりの異質な空間を作りあげているかもしれません。


皆さん、「ガウディを無視してあんなかくかくした作風を」と思う人が多いですが、直線的で、装飾がない点はガウディのオリジナル案にそっくりです。ガウディは生誕の門とはまったく正反対の門を、そのテーマにそって考えています。ガウディが生きている時代にあれができていたら、それも批判が強かったでしょう。スビラックスさんはある意味、ガウディの案に忠実に、それでいてアーティストとしての自分の力量を示した彫刻を発表したのです。

他にもあっと驚く(現地でガイドさんに聞いてください)彫刻を置いたこともあり、当時は大批判の嵐を受けています。一般人はもちろんのこと、有名な建築家・知識人たちからも轟々に批判の嵐。その時に彼が言った言葉というのが新聞で紹介されていて、大変心に残りました。

“Las polémicas pasan y las obras quedan”.
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「批判は過ぎていき、作品は残る」

うーん。芸術家としての強い意志と自信がなければ、こういうことは言えませんね。


ところで私はあちこちにある彼の作品が好きです。
バルセロナ市役所の外壁、以前はグラシア通りのサバデイ銀行にあり今はモンセラへ移動した彫刻など。ジローナの街角にある彫刻も。でも一番好きなのはモンセラの修道院付属の教会内にある彫刻です。

あれだけはお客様も、うなります。すごいですね!ってくちぐちに言われます。
しかもあれは遠くから見ただけでは分からず、できるだけ近くで見て、しかも動かないと、すごさは分かりません。
モンセラに行く機会があったら、ぜひご覧くださいね。

ご冥福をお祈りします。

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