ペドロ・アルモドバル監督による、マドンナ暴露話や興味深いエピソード

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自宅待機で暇な間、スペインの映画や本や建築に関する映像や文章を読んでいます。抜粋して紹介しようと思っていたところ、スペイン人監督のペドロ・アルモドバルが、マドンナの暴露話を出したと複数メディアが取り上げるニュースとなりました。

 

 

外出禁止中に楽しみましょうという新聞Diarioの企画で、彼がエッセイを寄せている中からの言葉ですが、興味深い内容だったので、いくつか文章を抜粋して、意訳で紹介します。

 

 

 

 

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・自分は閉所恐怖症と広場恐怖症である。真反対の症状のようだが、自分は矛盾するようなものをどこか性格としてもっている。

 

 

 

・カルメン・マウラと自分の関係は粉々に空に散ってしまった。だが、オスカーにノミネートされてロスを訪れたとき、彼女とは素晴らしい思い出ばかりが残っている。

 

 

 

 

・アカデミー受賞式の数日後、ジェーンフォンダと食事をした。「神経衰弱ぎりぎりの女たち」のリメイクをものすごくやりたがっていた。

 

 

 

 

・授賞式の翌日、マドンナ本人から電話を受けた。撮影中の映画「ディック・トレイシー」の見学に誘われたが、誰かの冗談なのか、もしかしたら相手は精神異常者でバラバラ死体になるかもしれないと、自己評価の低い自分は考えた。マドンナをはじめ、監督のウォーレン・ベイティからストラーノまでこれ以上ないほど親切にしてもらった。ベイティは自分の名前の入った監督席に座らせ、撮影が見れるようにしてくれた。子供のころに自分の性の嗜好をあなたの「草原の輝き」を見て気づいたんですと言いそうになった。

 

 

 

 

・翌年90年。マドンナが世界ツアーの最中にマドリッドに滞在した際、ホテル・パレスで彼女のためにパーティーを開いた。有名な人たちを呼んだのに、自分とちょうど売り出してきたアントニオ・バンデラス以外はほとんど関心を示さなかった。テーブル割も彼女が決め、二人の間に彼女が座り、当時のバンデラスの妻を、広いサロンの一番遠いところに座らせた。

 

 

 

 

・その時「記念になるから」と高性能のカメラが入り、ずっと撮影をしていた。気になったのは隣に別の男性がいて、カチンコ🎬をもっていたことだ。初めてみた電子カチンコだった。変だと思ったが、もてなす側として聞くものじゃないと思った。

 

 

 

・翌年、映画「イン・ベッド・ウィズ・マドンナ」が発表され、ほとんどがあのパーティーの場面だった。

 

・もしこれが逆の立場だったら、ー自分がマドンナやそのチームを撮影して映画を作り、それを世界中に発表したらー、一生払えないぐらいの賠償金を負っただろう。彼女は私達をバカにしたんだ。いつかはいわなきゃいかなかった。自分たちの映像を使うのに許可も求めてこなかった。しかも自分の言葉は吹き替えになっていた。

 

 

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当のマドンナの映画について、マドンナのwikipedia日本語版を見てみると、「絶対服従の命令を無視して、新人が私的な時間にカメラを回し続けた」「長編ドキュメンタリー」とありますが、アルモドバルの暴露によると、絶対服従を無視どころか、マドンナ容認だったようですね。新人がそんな大胆なことをするはずなく、確信犯かもしれません。新人のせいにした、というところでしょうか。

 

オリジナルの新聞 Warren Beatty, Madonna y yo (El Diario.es) 

 

 

 

 

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